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本人同士も苦しんでいる

結婚は一年に約八十万組が成立するという。十年ぐらい前までは、一年に百万組と言われたものだが、今は男女ともに晩婚型となり、あるいは同棲はしても、結婚という形をとらないひとたちも増えてきた。明治の末期に、「元始、女性は太陽であった」と宣言し、男女の平等を訴え、女の才能の開発を目指して「青踏社」を起こした平塚明は、男子優先の当時の民法の下での結婚という手続きを拒否し、五歳年下の奥村博史と共同生活という名のもとに入籍しないままの結婚生活を貫いたが、よく画家である夫君を助け、子女を立派に育て、息子の入営に際しては、戸籍に入れられていない出生が、兵士として不利な立場になることを案じてようやく法の手続きをとって奥村姓に入ったという。その前衛的な思想を、生活の中に生かした立派な人物であったと尊敬しているけれど、なまなかのひとでは、これだけの信念を生ききれなかったと思う。たとえ入籍の形をとらない時期であっても、彼女はそのような形にとらわれずに、妻として母としての役割は十分に果した。平塚明が、今から八十年も前に、世間の白眼視もおそれず、自分の信念にもとづいて、一人の異性を愛し、結婚して親となっての責任を果しているのに対して、近ごろの女性雑誌を賑わしている恋愛話はまことに、たわいなく、風に飛ぶタンポポの綿毛のようなはかなさである。中高年の男に憧れ、生活力があって頼もしいからと、妻子ある男を相手にする娘たち。男もまた適当に遊び相手にしているのに気づかない。気づいても、はじめから自分も遊ぶつもりというのが一番困る。若い青年はまた、年上の人妻などと恋愛関係を持ち、自分の結婚までのスリルを昧わったりしている。人生の時間を恋の遊びでウカウカと過ごすなどとは勿体ない。私はできれば、その人なりのよい時期が来たら、生理的にも環境的にもそれぞれの年齢、体力にふさわしい相手を選ぶべきだと思う。実は私の知っている女のひとに、職場で、自分より年下の後輩と結婚したひとがいた。しかしこの二人は、立派に長くその生活をそれなりに努力して築いていった。周りには世間の非難、親の反対、いろいろあったが、そういうものをくぐり抜けて、その恋を完成していったのは、平塚明にも似て立派だと思う。周りの反対がかえって強い力となって、二人の生活を引きしめていったのであろう。世の中には、はたから見て、なぜあんなひとと思うひとともあえて恋をすることがある。相手に夫や子どもがあり、相手に妻や子があり、相手に婚約者がある。あるいは相手が性格的にいろいろな欠点を持っている。つまり相手を恋することでその周りの誰かを不幸にし、自分自身も傷つく。それでも第三者がそれを阻むことができず、本人同士も苦しんでいる。

[参考情報]
東京南青山の教会結婚式
http://www.le-anges.gr.jp/chapelle/wedding.html
東京表参道の結婚式場なら南青山ル・アンジェ教会
http://www.le-anges.gr.jp/